昭和60年〜平成9年
昭和60年
(1985年)
箱根駅伝は4区からトップに立ち、堂々の2連覇、11回目の優勝を飾った。
雪の復路は日体大に20秒及ばず完全優勝はならず。
メンバー(田原貴之、遠藤司、坂内敦、高橋雅哉、木下哲彦、赤堀正司、伊藤雅弘、尾崎一志、川越学、豊福嘉弘)
「2連勝」
いいピッチで豊福、勝利の風に乗って快走、華やかにゴールへのカーブをまわってガッツポーズでテープを切る。
往路5時間35分56秒、復路5時間35時間20秒、 総合11時間11分16秒。
2位順大に4分27秒の差をつけて、去年に引き続き2連勝した。
鈴木新監督会心の用兵であった。
                                                    早稲田アスレチック倶楽部会報より
関東学生は5位。
日本学生は4位。川越学が長距離2冠。
青木半冶、オリンピック・オーダー受賞。
織田幹雄、東京都名誉都民に。
昭和61年
(1986年)
箱根駅伝は往路で3年連続のトップ。木下哲彦(現在は金)は4年連続で山を登り2回目の区間賞。
復路は9位と崩れ、アンカーが順天堂大に抜かれ2位に終わった。
新シーズンの競走部員は47人というピンチ。
東京六大学は3位、関東学生7位、
日本学生は必死で10点を取り10位。
西田修平、早大スポーツ功労者に。
昭和62年
(1987年)
箱根駅伝で、日本テレビの生中継が始まる。
高視聴率で一気に全国区のスポーツイベントに。
池田克美が1区で一時ドン尻からトップを奪うも総合8位に終わる。
3月31日、東伏見のグラウンドのお別れ会
「惜別」
東伏見グラウンドよ!
いま、われわれはじっとまたたきもせずにあなたを見つめておこう。
いつでも思い出の抽斗からまっ先にあなたを取り出せるように。
今、東伏見グラウンドは草創期のあの280mトラックとともに早稲田大学競走部部史のなかに吸収されていく。
われらは凝視して、あなたの後ろ姿を見送ろう、感謝と惜別の拍手の嵐をもって。
東伏見グラウンドよ!
                                                            戸田 純(昭和14年卒)
東伏見のグランドでの厳しい練習から47の日本新記録が生まれた。
そのトラックをOB、現役が一周し、30年間にわたる汗と涙の跡を噛みしめた。
4月、所沢に「人間科学部」誕生、キャンパスの前にグラウンドも完成した。
競走部に女子部員2人が入部。
関東学生、日本学生とも8位。
所沢に合宿所もオープンした。
昭和63年
(1988年)
箱根駅伝は8区で繰り上げ出発となったが、何とか11秒差で9位に踏みとどまった。
関東学生は7位。女子走高跳で小倉良重が2位。
日本学生は6位。
ソウル・オリンピック。瀬古利彦、遠藤司のOB2人と大沢知宏が出場。
瀬古はマラソンで9位。

織田幹雄、文化功労者に。
平成元年
(1989年)
箱根駅伝は10位に沈み12年ぶりに予選会からの出直しとなる。この年から名物の伴走車が消えた。
関東学生は8位。三段跳で大野正が早大27年振りの優勝。
日本学生は7位。池田克美が長距離2冠。
昭和39年以来中断していた早関戦が復活
神戸・王子競技場での対戦は39-19で快勝した。
第1回出雲全日本大学選抜駅伝は13位。
箱根駅伝予選会は4位で通過。
西田修平、オリンピック・オーダー受賞。
平成2年
(1990年)
箱根駅伝は9位。
関東学生は8位。
日本学生は7位。
400mの渡邊高博とハンマー投の山本聡が2冠。
日本学生のハンマー優勝は61年ぶりの快挙。
平成3年
(1991年)
箱根駅伝は1区で武井隆次がトップも、2区で櫛部静二が大変調、13人に抜かれてファンの涙を誘った。
結局、総合で11位に終わり、また予選会に。
関東学生は8位。
女子100mで久保千晴が優勝。創部78年目にして記念すべき女子の初優勝となった。
出雲駅伝は2位。
箱根駅伝予選会は1位で通過。個人は櫛部が1位。
平成4年
(1992年)
箱根駅伝、往路は2位も、復路で崩れて総合6位。山梨学院大が創部7年目で初優勝。
関東学生は5位。
バルセロナ・オリンピック。渡邊高博が出場。
日本学生は9位。
400m五輪帰りの渡邊、10000mで櫛部が意地の優勝。
所沢のグラウンド、全天候に改装。
第24回全日本大学駅伝、初出場で優勝。
先手必勝の作戦が当り、山梨学院大を破る。
平成5年
(1993年)
第69回箱根駅伝、完全優勝で8年ぶり12回目の栄冠。
往路 5時間32分48秒(大会新)
復路 5時間30分46秒
総合 11時間03分34秒(大会新)
1区櫛部の区間新の快走で波に乗り、4区花田勝彦も区間新、6区で山梨学院に一旦はリードを許すも7区武井隆次が区間新で逆転し3分の貯金。これが優勝の決め手となった。
メンバー(櫛部静二、渡辺康幸、小林正幹、花田勝彦、小林修、大塚毅、武井隆次、高瀬豪史、豊福知徳、富田雄也)
「感涙のゴールイン」
名門復活 早稲田8年ぶりV
エリートとノンエリート選手の力が噛み合った早稲田が復路も制し、8年ぶりの総合優勝。富田選手はゴールの1km手前から感激の涙を流していた。
                                      箱根駅伝80回大会記念誌 見出しとゴール写真の記事より
関東学生は9位。
日本学生は5位。5000mは花田、渡辺でワンツーフィニッシュ。
早慶戦は26-30で3連敗。
出雲駅伝は2位。
全日本大学駅伝は2連勝。
平成6年
(1994年)
第70回箱根駅伝は記念大会で20校出場。
山梨学院大とのマッチレースは9区で突き放されて連覇は成らず2位。
武井隆次の4年間全て区間賞はエースの証明。
関東学生は3位。
日本学生は7位。5000mで渡辺康幸と小林雅幸がワンツーフィニッシュ。
所沢で初の競技会である早関戦は振わず2連敗。
早慶戦は22-35で慶応に4連敗。
出雲駅伝は2位。
全日本大学駅伝は3連勝を飾る。
平成7年
(1995年)
箱根駅伝、5時間29分36秒の大会新で往路優勝
山梨学院大と4度の逆転劇も届かず総合2位。
関東学生は11年振りの3位。
渡辺康幸の長距離2冠などで昭和63年以来のトラック優勝。
日本学生は7位。
イエテボリの世界陸上、10000m予選で渡辺康幸が27分48秒55の日本学生新記録。
福岡のユニバーシアード、10000mで渡辺康幸が優勝、小林雅幸が4位。郷原剛、土江寛裕も出場。
9月に競走部創部80周年祝賀会。
早関戦は3連敗、早慶戦は5連敗を免れる。
出雲駅伝は2位。
全日本大学駅伝はアンカー渡辺が逆転して4連覇。
平成8年
(1996年)
箱根駅伝、往路は山登りの小林雅幸の区間新もあり独走で2連勝。復路は5位で総合2位。
関東学生は7位。ハーフマラソンで荒川誠が2連勝。
女子10000m、小尾麻美が優勝。
日本学生は5位。
アトランタ・オリンピック。選手は花田勝彦、渡辺康幸(OB)土江寛裕、馬塚貴弘。
日本選手団総監督に小掛照二、陸上監督に桜井孝次、コーチに瀬古利彦。
出雲駅伝、アンカー小林雅幸の8人抜きで初優勝。

全日本大学駅伝は4位。
平成9年
(1997年)
箱根駅伝は5位。
関東学生は10位。
日本学生は4×100mリレーで16年振りに優勝したが総合11位。女子は14位。
早関戦は23-35で5連敗。
日本選手権リレー4×100mで18年ぶりに優勝、連勝記録が始まった。
出雲駅伝は6位。
全日本大学駅伝は3位。